
柴田 誠一
有限会社 柴田工務店 販促担当
二級建築士
近江商人の街、滋賀県出身。
1982年5月9日、工務店を祖父の時代から営む家の長男として誕生。
●幼少時代 〜あだ名は、ピカソ〜
お絵描きや工作をもくもくと取り組むことに長け、展覧会では数々の表彰を受ける。小学生ながら、展覧会の審査員に受けるための作品を創りつづけていた。
●学生時代 〜思い立てば即行動〜
高高校時代には、こっそり親の車を持ち出し、友人3名と新潟のスキー場いった。その帰り道、高速道路で3回転半の横転事故を起こし、親の愛車を廃車にする大惨事を起こす。またバイクで車に側面衝突する事故を起こすなど事故の耐えない学生生活を送る。
大学へは入試勉強が嫌だった理由から行かず、京都の建築専門学校に親の意向で入学する。専門学校では、2級建築士の国家資格を奇蹟的に取得する。
専門学校を卒業して、建築デザインに没頭するあまり、就職活動を放棄してスペインへと渡る。スペインの情熱的な建築にふれながら、アート、デザイン、音楽、サッカーにも同時に興味をもち、現在の感性をつかさどる基盤となった。
●起業時代 〜無計画のまま上京〜
帰国をした2002年の春。当時、
華やかだったIT産業に憧れ、親の反対を押切って、計画もないままに上京する。
上京後は、生活費を稼ぐのさえやっとの極貧生活をおくる。
その最中、親切にご飯を食べさせてくれていたスペイン料理屋があった。そのお返しにとお店のホームページを見おう見まねで作成したことが「販促・広告」との出逢いとなる。
当時では珍しい飲食店のホームページ。これが功を奏し、そのお店はわざわざ全国からお客が食べに来るほど繁盛した。
2003年12月。その成果を買われ、若干22歳ながらホームページ制作事業で起業を果たす。
初年度から、20社以上のホームページに携わる成績をだすが、社会人としての経験がないことによって生じた「納期遅れ」「遅刻」等、基本的な事が原因で、次々とクライアントから解雇を宣告されていった。
初めての挫折を経験する。収入が無くなり、資金は底をつく。このままでは事業を断念せざる終えない2005年12月31日。
泣けなしのお金をはたいて参加した勉強会。その隣の席には、偶然にも今後3年間お世話になる会社「株式会社イズ・アソシエイツ」の代表を勤める岩本俊幸氏が座っていた。
岩本氏との出会いから、人生は急展開する。
●下積み時代 〜販促担当としての3年間〜
2006年4月。岩本氏率いる株式会社イズ・アソシエイツに入社。
「とりあえず、うちで3年間修行するように」と社会としての経験を積むチャンスを与えられる。
そこで待っていたものは「これなら、誰でも広告・販促のプロになれるわ」と思えるほどの厳しい修行のような仕事であった。
毎日、早朝から日付が変わる時刻まで、上司からの厳しい指導も受けながら、鼻血がでるほど仕事をした。
その分、失敗も多くした。
挫折も経験し、恥を忍んで何度も会社を辞めようと思った時もあった。
しかしながら、クライアントを初め多くの方々から暖かいお力添えをいただいたことで、岩本社長との約束の3年間を無事に守り抜くことができた。
この3年の間に、不動産会社、建築事務所、コンサルティング会社、広告会社、美容室、エステティックサロン、税理士事務所、食品メーカー、飲食店、葬儀社などの多様な業種・業態で販売促進を担当。
やはりWEBを活用したプロモーションが得意ではあるが、広告・販促の目的によって、手段は変える必要があることを学んだ。
この3年間は、販促・広告の経験も去ることながら、仕事や勉強会を通じて多くの方に出会うことができた。